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Q. 人として幸せに生きていく権利が護られていると感じていますか?

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気持ちを前向きに持つことで、同じ社会資源でもより有効に利用できると思うし、それが障碍者の権利であり制度を利用させてもらっているものの義務であると思う。

 

支援者とそうでない人が居るのは、理解できるが、やはりマイナスなことも多いので、色んな差別があるので、幸せかと言われたら、素直に答えれない。また、支援施設の目的は、環境に慣れるがまず、目的だが、低賃金すぎる。現実的に考え、環境慣れも大切だか、ある程度、賃金も補償額が必要だと思う。

 

精神科医師がきらい、怖い、話しにくい。

 

幸せの向上をキーワードにしている会社が少ない殆ど無い

 

生活支援や多方面での控除等で助けられている

 

職業の選択肢が少ないし、(“支援者”の都合で)移動の自由も制限されている。

 

福祉サービスがお粗末過ぎる


父が亡くなり相続手続きの為に「成年後見制度」の利用を税理士と司法書士から強要されました。司法書士は本人に1度も会うことなく虚偽申立で財産管理後見人となり虚偽報告で辞任しました。国家資格を持つ税理士と司法書士に本人確認して貰えなかった上に、虚偽の申立書で人権を奪われ、取得出来ていた印鑑登録は抹消され、高額な後見報酬を本人の同意なく抜取れらました。国が推進している「成年後見制度」でこんな差別を受けるとは夢にも思っていませんでした。成年後見制度は生涯利用を強要されるので現在は私が親族後見人をしていますが、本人の意思を伝えても認めて貰えません。先天性知的障害者は生まれて来なければよかったのか?と何度も思いました。本人に会うこともせず本人の人生を決めてしまう税理士や司法書士がいる、それが合法となるのが「成年後見制度」です。「私たちのことを私たち抜きに決めないで」と毎日つぶやいています。


法整備は進んだが、巷は薄くても障害者差別が残っている

 

法が整備されたとしても人それぞれの考え方を変えるのは難しく、社会においてもそれぞれの不便さに応じた対策がなされてないから

何かをしたいと思っても支援してくれない。お金が発生する。一人で楽しめることが見つからない。支援者が少ない。とにかくすべて金ありき

どうしても雇用や交通機関での差別を感じる

本人にも問題があるが、社会、企業側に本質的な所での理解が少ない

 

​スティグマが拭いきれない


正しく理解されずに偏見がおおきい


雇用や障がい者の誹謗中傷での平等ではない


障がいの有無に関わらず人格や価値観が受け入れられているのかは疑問点が多少あります


社会的な理解の広がりがない
 

そう変わってないと思います
 

福祉の予算は削られ、声が届きにくい
 

人間だから
 

罰則があっても違法行為を行う人がなくならないように

罰則では人の価値観や権利意識は変えることができないから
 

就職がしにくい
 

企業などが昔よりは障害者の雇用をしてくれるようになりました。
 

またバリアフリーなども少しずつですが進んでおります。
 

護られているか以前に、自分にとって幸せとは何かが明確にイメージできないので、

権利の行使ができない。
 

今の世の中は障害児者にとっては決して生きやすいとは言えません‼️

DAKARA自分ラシクいられるように自分で工夫をこらしてます


意思表示が難しく、支援者側が表情の変化を読み取る意識が必要であるが、

後回しにされることが多々あると感じています。


質問が少し難しくて、どちらとも言えません。
 

幸せを感じながら実生活を送っている人をあまり知らない
 

そもそも幸せがわからない世の中
 

男尊女卑の古い考えが未だになくならない
 

社会の偏見・差別は根強いから
 

生活保護の申請が通らない。
 

障害者に対するモラルハラスメントがある。

(陰口を聞いたことがある。虐待のケースを聞いたことがある。)
 

全国区でやっていけるひきこもり支援者が居るのに、医療の現場でひきこもり事情に疎い

対応がいまだになされている病院に通わざるを得ない(私の両親が治療費(経済的理由)を

挙げているが、実際の所、より良い医療を受けるだけの蓄えはある。)という、

高知県の底辺の病院の事情に巻き込まれているので。


世間の差別や偏見は以前より減っていると感じるから
 

障害を理由に色々と制限されているから。
 

公共交通(路線バス)は未だに「乗せてあげているのだから有り難く思え」的な態度。
 

行政福祉支援を受けている。
 

やはり病気が出れば仕事に穴があくと周りの目が気になる
 

護られていないと感じることが多い
 

周りの人達の理解が増してきた。
 

法律により権利が守られるべきだが、人との中で生きていくうえで、障害について

(自分でさえ理解が及ばないことがあるのに、ましてや)社会がそれ以上に理解を示してくれることは稀である。だから、自分の権利は、できる範囲で(世間から反感を買わないよう)

できるようなら自信をもって主張し、主張はせずとも、自分を信じて、支援者など頼れる存在と一緒に生きていく生き方もある。その両方を行える時もある。

最近、自分の病だけでなく、同じ病の当事者やその家族のことについても、自分事のように考えられるようになりました。


今までいろんな自分を否定され続けて生きてきました。自分の生きたい人生があっても

学芸が無いからとか相当の努力が必要だから無理と否定され、諦めた人生を今日まで

歩まされました。学芸や努力が必要なら、勉強して努力すれば良いだけ。

それを否定され続け膨大な時間を無駄にしました。
 

困っている人への行政や民間の対応がもう少し丁寧にあっていいのではないかと思う
 

本当の意味での心のバリアフリーを実感することが少ないため
 

障害者のみならず弱者が切り捨てられる社会
 

伝えたい思いや事柄が、支援者に伝わらない。すべての事柄について、

障害者本人の行動に責任転嫁する。
 

コミュニケーションの手段が言葉であり、禁止、否定の言葉が多い。
 

お世話になっている施設で、スタッフの方達から、良い接遇を受けている。
 

障害の有無は関係なく、全員にとって生きるのがしんどい社会に思われます。
 

表面上は権利擁護が主張されているが偏見は根強く社会や支援者側の決めつけも在ると感じる
 

今がしんどいから。
 

幸せに生きる権利が守られているかどうかは、障害の有無に関係なく

本人の主観によるものだから。
 

身体的介助はキチッとしています。
 

精神面までは見てもらえてない感じがする。
 

情報を得られない人や意味が分かりにくい人等が多く、なかなか周知ができてない。

 

わからない。
 

個人的には満足している。
 

今の生活で特に感じることは無い。
 

お父さんお母さん、兄妹みんなが優しくしてくれる。毎日お世話をしてくれる。

美味しいご飯を作ってくれる。おやつを買ってくれる。
 

知らないので分からない。
 

人生の充実感がない。
 

障害者差別や偏見について無関心な人が多い
 

酷い虐待ばかりに目が行き、日常生活での差別や偏見、支援場面での権利侵害については

見逃されている
 

一人ひとりの意向や意思が尊重されず、支援者や国の価値観に引きずられている
 

人に頼ることは自立ではないように言われる
 

中々、24時間介助が認められないことが一番に感じられない理由に値します。
 

依然として悲しい事件が次々と起こっているから
 

地域の方の認識と意識がまだまだ低い。
 

行く学校を選べないとか、住みたい地域で暮らせないなど。
 

地域によって格差がありすぎる為。必ずしも安心とは言えない。
 

代筆者から:本人には理解が難しい
 

理解してもらえる人には通用するが、法律ができただけでは差別や偏見がなくなるとは

思えない。
 

まだ障がい者は、自由に暮らせてるとは言えない。
 

幸せな人もいれば不幸な人もいると思うから
 

あまり身近に感じない
 

障がいに対して無理解な人、先入観や偏見を持った人は、昔と比べて減少した印象はあるが、

かといって理解しようとする人や歩み寄ろうとする人が増えた実感もない。理解したふりをする人や、見てみぬふりをする人が増えただけのように思う。

 

辛い生活を送っている
 

子供の頃に比べれば社会のバリアフリー化は一定程度進んだと思うから。
 

幸せだと思える時間があるから
 

全体的には守られているのは思うが、それぞれの立場での不満等は拭えていないと思うから。

 

通勤や仕事をする為にヘルパー利用できる制度がない
 

一般の人たちには浸透していないから、お店のバリアフリーや受け入れ体制が整っていない
 

過去と比べると権利は護られていると言えるのかもしれない。

しかし根本的な部分はまだまだと思う為。
 

ある特定の人達が作り上げてきた健常者社会だから全ての人に当てはまらないから
 

障碍者の雇用、バリアフリー整備が中途半端だから
 

まだまだ守られていないと感じる。
 

個性や多様性が尊重されているとは全く思えない。
 

すべて勝者の理論で進んでいる気がする
 

行き場がなく、行っても自分の不愉快な場所であり、かといって家にいると生活費がかさみ、

生活が立ち行かなくなった。また病気になってから、以前普通に付き合っていた知人友人との

交友関係にも支障をきたすようになり孤独感がつのる。
 

制度や政策が幸せの権利追求のになっていない。
 

安心して暮らすための介護保障や所得保障がまだまだ未整備である。
 

周りの友達や学校の先生、家族など、人の縁には恵まれているな、といつも感じるから
 

変わったと感じていないから
 

雇用などランクが下げられている
 

安心して医療にかかることが難しいと感じている。
 

病院受診などは何をされるか見通しがたちにくいため、かなり配慮が必要だが、

安心して受診ができるよう本人への事前の情報提供のために同行の保護者が診察手順等

問い合わせても嫌な顔をされ、忙しいのでとりあえず受診に来てくれと言われる。

結果受診時にパニックを起こすと治療する気が本人にないなら帰ってくれと言われる。
 

点滴などが必要な場合は精神科がない病院では治療が困難なので、

精神科がある病院に行ってくれと言われるなどがある。
 

大病をしたりするとどうなるのか不安。

 

時代が流れても、差別意識は変わりません。あからさまです。


今でも十分幸せですが「障害がある事」を理由にやりたい事が出来ない時、

不当な扱いを受けているなと思います。「やりたい事をやれる度」でいうと、

健常者よりはその機会が奪われがちだと感じます。(ここでいう「やりたい事」というのは

趣味や娯楽だけでなく、仕事や資格の勉強など様々な場面での事です)


身体、知的の方は人から見て分かりやすいため変化があるのかもしれないが、

精神障害者である私には社会的に何かしら良い方向へ変わったことが分かりにくいせいか、

法整備前と後で変化の実感が無い。


町中を車椅子で歩く等、大多数と違う雰囲気の人がいると視線が集まる。
 

元気な人でも生きにくい世の中‼️障害があると余計に生きづらさを感じるゲド

国は政策が遅すぎる(何に対しても)
 

エレベーターやバリアフリーが進んだ
 

制度や現状をよく知らない
 

法が整備されても利用者の皆さんやご家族は何も変わっていない。
 

機会や情報が適切にない感じがする
 

合理的配慮については障害のある方からの申し出があって初めて提供されることとなっているが、発達障害や知的障害の⼈については、その障害特性から⾃ら適切に助けを求めることができない⼈が少なくない。これは機能的言語がある方についてもコミュニケーション障害があるため、同様である。しかも保護者や支援員や教員であっても、発達障害や知的障害の特性や、個人の障害特性を適切に把握し、支援をしている人が少なく、当事者に代わって適切な合理的配慮を申し出る力量がある周囲の人間が非常に限られている状況である。このような障害特性を持つ⼈達に対しても適切な⽀援が⾏われる社会とすることが必要だと思う。


病院を利用していることによる
 

理解者が少な過ぎる
 

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